金華山の山頂にそびえ、戦国ロマンあふれる岐阜城を背景に、
約1300年前より伝わる古典漁法「鵜飼」は岐阜市のを流れる長良川の夏の風物詩。
毎年5月11日から10月15日まで開催しております。
漆黒の闇に包まれた長良川の川面に、赤々と焚かれた篝火が幻想的に浮かび上がる中、
鮎を捕らえる鵜と手綱を操る鵜匠が一体となる妙技、古典漁法「鵜飼」繰り広げられます。
現在を忘れ千古の昔にタイムスリップしたような幽玄の世界をお楽しみください。
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金華山の山頂にそびえ、戦国ロマンあふれる岐阜城を背景に、
約1300年前より伝わる古典漁法「鵜飼」は岐阜市のを流れる長良川の夏の風物詩。
毎年5月11日から10月15日まで開催しております。
漆黒の闇に包まれた長良川の川面に、赤々と焚かれた篝火が幻想的に浮かび上がる中、
鮎を捕らえる鵜と手綱を操る鵜匠が一体となる妙技、古典漁法「鵜飼」繰り広げられます。
現在を忘れ千古の昔にタイムスリップしたような幽玄の世界をお楽しみください。
長い歴史を持つ長良川鵜飼は、時の権力者らによって保護されてきました。織田信長は「鵜匠」という地位を与えた鵜飼を保護したと言われ、徳川家康はたびたび岐阜を訪れては鵜飼を見物し、保護するかたわら岐阜でつくらせた鮎鮨を江戸まで運ばせました。
また、多くの文化人にも愛されてきました。松尾芭蕉は岐阜を訪れた際に鵜飼を見物し「おもうしろうて やがてかなしき 鵜舟かな」という句を残し、名優チャールズ・チャップリンは2度も鵜飼見物に訪れ、鵜匠をアーティストと賞賛するなどそのすばらしさを絶賛したと言われています。
現在、長良川における鵜飼は日本で唯一の皇室御用の鵜飼であり、その鵜匠は職名を宮内庁式部職鵜匠といい、代々世襲で親から子へとその伝統が受け継がれています。
そして鵜匠が鵜をはげます「ホウホウ」という掛け声や舟べりをたたく音は「日本の音風景百選」に選ばれ、長良川の鵜飼用具一式122点は国の重要有形民俗文化財、長良川鵜飼漁法は岐阜県指定無形民俗文化財に指定されました。
また宮内庁の御料場で行われる8回の鵜飼と「御料鵜飼」と呼び、獲れた鮎は皇居へ献上されるのみならず、明治神宮や伊勢神宮へも奉納されています。
「鵜飼」は鵜匠が10~12羽の鵜を見事な手縄さばきで操り、
篝火に集まってきた鮎を次々に捕らせる日本の伝統漁法のひとつです。
鵜匠は常日頃から鵜と一緒に生活しているため、
お互いに呼吸の合った動きを見せながら、見事に鮎を捕らえます。
捕った鮎は鵜匠により吐き篭(鵜が捕った鮎を吐かせる竹篭)に吐かせられます。
鵜舟には鵜匠のほか鵜舟を操る責任者「供乗り(とものり)」と、
鵜匠と供乗りの助手である「中乗り(なかのり)」が乗船し、
三人一組となって鮎を捕りながら長良川を下ります。
「狩り下り」は鵜舟に付いて、一緒に川を下っていきながら鵜飼を観覧するものです。鵜匠の手縄さばきや鵜が鮎を捕らえる様子を間近で見られます。
また、河川の状況により「狩り下り」が不可能な場合は、観覧船を川岸に固定し、鵜飼の様子を観覧する「付け見せ鵜飼」もございます。
6隻の鵜舟が川幅いっぱいに横一列に並び、一斉に鮎を浅瀬に追い込んで巻き狩りする漁法です。鵜匠は「ホウホウ」とかけ声をかけながら鵜匠と鵜、鵜舟が一体となって鮎を追い込んでいきます。このかけ声は、鵜を落ち着かせる効果があります。
館内から船着場まで専用通路を渡り、ご乗船いただけるのは、十八楼のみの特典です。ただし、階段がございますので、車イスの方は別ルートにてご案内いたします。
1Fロビーにお集まりいただき、「鵜飼小路」経由で乗船場にご案内いたします。
船着き場より上流へ船を進めます。その後、鵜飼が始まるまでは川岸に船を停泊しますので、周りの景色を楽しみながらお食事をお召しあがりください。
船内食鵜飼のご予約・お問い合わせはお電話にて承っております。
お日にち・人数・お料理などのご相談、ご不明な点なども、お気軽にご相談ください。