十八楼物語 - 鵜飼・十八楼略年表 -

十八楼物語 - 鵜飼・十八楼略年表 -

十八楼物語

万延元年創業 十八楼物語

鵜飼・十八楼略年表

時代 年号 西暦 事項
飛鳥   7世紀初め 『隋書・東夷伝・倭国』(唐の魏徴・選述)に鵜飼の記事あり
鵜飼記録の最古の文献とされる
奈良   8世紀初め 『古事記』 『日本書紀』に神武天皇の伝承として鵜飼記事あり
    『万葉集』に柿本人麻呂・大伴家持の鵜飼を詠んだ歌あり
大宝 元 701 この頃、朝廷直属の鵜飼あり。宮内省大膳職雑供戸に鵜飼三七戸所属
   2 702 美濃国大宝戸籍(郡里未詳)に、「鵜飼部目都良V・年三十七」の記事あり
養老 5 721 仏教の興隆にともない、朝廷殺生を禁止し、大膳職の鵜を放生
平安 延長 5 927 『延喜式』に、年魚(鮎)・鮓年魚・火干年魚などを貢進の諸国中に、美濃国あり
  11世紀初め 『源氏物語』(紫式部)「藤裏葉」に鵜飼の記事あり
    赤染衛門(平安中期の女流歌人)が尾張への途中、美濃国杭瀬川で鵜飼を見る
    『平治物語』に、源頼朝が鵜飼の者に助けられて、美濃青墓に至る記事あり 
鎌倉 正治 2 1200 鎌倉幕府初代将軍源頼朝が、家臣の畠山次郎・葛西兵衛尉を連れて相模川で鵜飼を見る
健治 3 1277 後宇多天皇が亀山殿へ行幸。大井川(桂川)で舟を浮かべて鵜飼を見る
    この頃、桂川に鵜飼集団あり
室町 永享 4 15世紀初め 世阿弥(足利義満に仕えた能役者)、謡曲「鵜飼」を作る
  1432 室町幕府六代将軍足利義教が、富士山を観る途中、美濃国黒俣川(長良川)で鵜飼を見る
文明 5 1473 一条兼良(公家・関白・太政大臣・学者)が美濃国江口(長良川)で鵜飼を見て、『藤河の記』に記す
天文 4 1535 濃州修理太夫(斎藤道三)が、後奈良天皇に背腸(鮎加工)五十桶進上する
永禄 2 1559 西之庄立政寺門前の荷(蓮)池での鵜飼を禁止する
永禄 11 1568 織田信長、武田信玄の使者秋山伯耆守(信友)に鵜飼を見せる
安土
桃山
文禄 2 1593 豊臣秀次、山城国大井川(京都府桂川)で鵜飼を行なう 
岐阜城主織田秀信(信長の孫)、鵜飼を保護する
江戸   慶長 8 1603  岐阜奉行大久保長安、鵜飼保護の触書をだす
    この頃、鵜匠二一人(長良鵜飼一四人、小瀬鵜飼七人)
慶長 10 1605 徳川家康、岐阜で鵜飼観覧
慶長 15 1610 江戸幕府、鵜飼保護の触書をだす
    慶長年中(一五九六~一六一五)、長良鵜飼は鵜匠一二人
元和 元 1615 徳川家康・秀忠父子、大坂の陣の帰途、岐阜に逗留、鵜飼を見る
    同年、河崎喜右衛門、鮎鮨の御用仰せつかる。献上鮎鮨始まる
元和 5 1619 鵜匠、鮨所尾張藩に所属する
正保 3 1646 尾張藩主初代徳川義直、岐阜に来て鵜飼を見る
明暦 1655~58 この頃、長良鵜匠一五人か
万治 元 1658 尾張藩主二代徳川光友、岐阜に来て鵜飼を見る
延宝 1673~81 この頃、小瀬鵜匠六人
貞享 5 1688 松尾芭蕉、岐阜に招かれて鵜飼を見る。「十八楼の記」をあらわす
元禄 1688~1704 この頃、長良鵜匠一四人、小瀬鵜匠七人
宝永 4 1707 鵜飼漁年々厳しくなり、長良の鵜飼舟七艘に制限。一四人で操業
享保 7 1722 長良川洪水により、鵜飼の川筋が古川から井川(現在の本流)へ変わる
享保 14 1729 長良鵜匠七人になる
宝暦 2 1752 長良川とその支流で、鵜飼の妨げになるものを禁止にする
天保 1830~44 この頃、十八楼の前身山本屋、長良川畔で旅館営業
万延 元 1860 山本屋を十八楼と屋号改称。「三十四楼記」選述
文久 元 1861 献上鮎鮨廃止
明治 明治 元 1868 有栖川宮家進献御用を仰せつかる
明治 4 1871 長良・小瀬とも鵜飼廃止。その後、鵜飼税を岐阜県へ納めて継続
明治 11 1878 明治天皇北陸ご迎行の際、随行員岩倉具視ら鵜飼を見る。天皇に鮎献上
明治 16 1883 長良新橋橋梁会社副社長「川原町伊藤如竹」とある
明治 20 1887 この頃、十八楼営業者は伊藤儀助(如竹)から伊藤治助へ交代
明治 23 1890 長良川筋に御猟場定められる。鵜匠、宮内省主猟寮の所属になる
明治 31 1898 長良川遊船株式会社設立される
    この年九月、大正天皇(皇太子として)鵜飼をご覧になる
明治 30~40 1897~1907 この頃、十八楼は、伊藤房太郎が営業する
明治 40 1907 この年から、十八楼営業者は伊藤末吉にかわる
大正  大正 7 1918 英国皇太子が鵜飼をご覧になる
大正 10 1921 この頃、十八楼三階建に改築。内部に大理石の浴場と高さ一五メートルの滝設置
大正 13 1924 遊船会社、岐阜市保勝会が買収して営業
昭和  昭和 2 1927 遊船、岐阜市営となる
昭和 4 1929 市営納涼台できる
昭和 8 1933 伊藤久子、十八楼の家督相続。幼少のため、叔父光之助後見人となる
昭和 15 1940 戦時体制下の経済統制により、旅館営業困難となる
昭和 19 1944 この頃、十八楼は軍に接収され、航空本部の将校宿舎となる
昭和 20 1945 七月の岐阜大空襲では、焼失をまぬがれる
昭和 24 1949 伊藤公平が十八楼の経営にあたる
昭和 30 1955 鵜飼観覧客一〇万人越える
昭和 34 1959 伊勢湾台風により、長良川畔の旅館街は大被害を受けるが、復興につくす
昭和 36 1961 英国喜劇俳優チャップリン、鵜飼を見る
    十八楼合資会社になり、伊藤公平代表社員となる
昭和 37 1962 昭和天皇が鵜飼をご覧になる
昭和 45 1970 皇太子(今上天皇)ご一家が、鵜飼をご覧になる
昭和 48 1973 NHK大河ドラマ「国盗り物語」ブームで、鵜飼観覧客三〇万人越える
昭和 55 1980 ロビー新築により、芭蕉の十八楼の記をレリーフとして壁面に展示
昭和 59 1984 伊藤公平、㈱岐阜観光ホテル十八楼代表取締役に就任
    伊藤善男、㈱岐阜観光ホテル十八楼専務取締役就任
昭和 61 1986 コンベンション需要の隆盛により、大ホール扇・葵・橘の間を増築
    本工事の結果、客室総数一二〇、宴会場数一六をもつ、県下屈指の大規模旅館となる
昭和 63 1988 伊藤公平、厚生大臣表彰を受ける(環境衛生功労)
平成  平成 3 1991 アメリカ合衆国シンシナティ市で鵜飼公演
平成 7 1995 伊藤公平、運輸大臣表彰(旅館振興功労)を受ける
    ホテルニューナガラ館を買収し、十八楼別館として営業開始
平成 9 1997 伊藤公平、ホテル・観光事業発展の貢績により藍緩褒章受章
    今上天皇ご一家が、鵜飼をご覧になる
平成 10 1998 伊藤善男、㈱岐阜観光ホテル十八楼代表取締役社長就任
平成 14 2002 鵜飼一三〇〇年をむかえる
平成 15 2003 伊藤豊邦、㈱岐阜観光ホテル十八楼常務取締役就任
    七月、露天風呂付客室全十室を改装
平成 16 2004 岐阜市都市景観賞受賞
平成 17 2005 愛・地球博(愛知万博)開催。鵜飼観覧者および旅館宿泊客増加
    露天風呂付大浴場を増築

 


十八楼と長良川、金華山(大正末年)

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