十八楼物語 - 十八楼を支えた人たち -

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十八楼物語

万延元年創業 十八楼物語

十八楼を支えた人たち

  万延元年(一八六〇)創業
初代 山本屋・十八楼
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二代 伊藤儀助 (俳号如竹)
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三代 伊藤治助 (儀助親戚)
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四代 伊藤房太郎 (治助長男)
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五代 伊藤末吉 (房太郎弟・後に喜六と改名)
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六代 伊藤久子 (喜六長女)
伊藤光之助 (久子幼少のため後見人)
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七代 伊藤公平 (久子夫)
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八代 伊藤善男 (公平長女泰子夫)
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九代 伊藤豊邦 (善男長女知子夫)

 


長良川風景。左岸に「十八楼」がみえる(明治10年代)

 

 

 

二代 伊藤儀助 (俳号如竹)



伊藤儀助

 
  伊藤儀助の名前は、明治十六年(一八八三)の川出文書(川出家は岐阜市長良の旧家)に、「長良新橋橋梁会社」の副社長として、「川原町伊藤如竹」とある。 十八楼先代女将久子は「儀助は若年の頃より俳諧の道に志し、方々の俳人仲間と交流をもって、四方を旅した」と語る。
 そのためもあってか、旅館経営は明治二十年(一八八七)ごろから、親戚の伊藤治助に譲っていた。
 余談ながら、儀助の妻は加納藩士族の娘で、茶道久田流の権威者であった。


 

三代 伊藤治助 (儀助親戚)



伊藤治助

 


 伊藤儀助の親戚。江戸時代の天保三年(一八三二)生れ。儀助が俳諧の道に専念したので、若年のころから十八楼の旅館経営を切り回していた。明治十六年(一八八三)、長男房太郎に家督を譲ったが、八十歳まで長命した。


十八楼の広告(明治33年・1900)

 

 

四代 伊藤房太郎 (治助長男)

 伊藤治助の長男。明治二年(一八六九)生れ。明治十六年(一八八三)十四歳で家督相続。その後、父治助と共同で十八楼の経営にあたったが、明治四十年(一九〇七)、父に先立って死去。三十八歳

 


五代 伊藤末吉 (房太郎弟・後に喜六と改名)
  (昭和三年〔一九二八〕、喜六と改名)


伊藤喜六
 


 伊藤房太郎の弟、父治助の五男。明治十六年(一八八三)生れである。兄の病死により、十四歳で家督相続。若年であったので、十八楼の経営は老年の父治助が補佐した。
 第一次世界大戦(大正三年~七年、一九一四~一八)後の好景気により、長良川畔の旅館は関西方面からの鵜飼客で非常な賑わいをみせた。
 十八楼も、この好況で大繁盛し、末吉は十八楼を、当時、珍しい三階建に新築した。内部には、当時珍しかった大理石の大浴場と滝があった。
  また、三階建物の傍らに、「芭蕉の間」と呼ばれる瀟洒な萱葺の建物があり、芭蕉木像を安置して、翁ゆかりの品が展示されていた。
 しかし、喜六は昭和八年(一九三三)、改名三年後、五十歳で死去した。

 三階建十八楼


絵はがき
「三層閣・四季眺望絶佳、水面五丈滝および大浴場」とPR文句にある
 

十八楼の広告
「長良川鵜飼観覧案内」(大正3年・1914)より


 

六代 伊藤久子 (喜六長女)
伊藤光之助 (久子幼少のため後見人)



伊藤久子(左)・友子(右)姉妹

 
 昭和八年(一九三三)、父の死去により、久子は五歳の幼少にもかゝわらず家督相続人となる。叔父光之助(父の兄)が後見人となり、十八楼の経営にあたった。昭和六年(一九三一)の満州事変を契機に、日本は軍国主義の道を歩み始めた。
 とくに、昭和十五年(一九四〇)の物資配給統制規則(飲食店の米使用禁止)は、旅館経営の転換をせまられるものであった。
 このような戦時体制下で、十八楼は施設の立派さから軍部に接収され、岐阜公園内に設置された航空本部の将校宿舎となった。
 昭和二十年(一九四五)七月の岐阜空襲にも、同館はさいわい焼失をまぬがれた。
 戦後の昭和二十一年(一九四六)、後見人の光之助が死去し、久子は十七歳であったが、十八楼の経営を一身に背負うことになった。
 戦後の食糧難・住宅難の中、久子は妹と協力しながら同館の復興に努力した。中でも、昭和二十三年(一九四八)、第一回岐阜長良川花火大会が長良川畔で開 催された時、同館は久し振りの大盛況で思わぬ収益があがり、久子姉妹は、「十八楼を人手に渡さず、二人で守ってきてよかった。これもご先祖様のお蔭です」 といい、涙を流しながら手を取り合って喜んだ。
 翌昭和二十四年(一九四九)、久子は大橋公平と結婚し、新生活がスタートする。


長良川河畔の十八楼
(昭和23~24年ごろ・1947~48)


 

七代 伊藤公平 (久子夫)



伊藤公平

 
 久子の夫、大橋公平は、久子と結婚後、十八楼の経営に従事。非常な敏腕家で、弟大橋正(取締役総支配人、久子の妹・友子の夫)を片腕とし、同館を岐阜有数の近代的観光ホテルに成長させた。
 その足跡は、昭和三十六年(一九六一)、個人経営の同楼を合資会社にして代表社員となる。昭和五十九年(一九八四)株式会社岐阜観光ホテル十八楼代表取締役に就任。その間に、同館付近を買収し、増改築して内部設備の充実を図り、現在の規模に拡充した。
 公平は十八楼の発展に尽すのみならず、岐阜市内の旅館・観光事業充実にも大きな貢献をしている。歴任した主な役職はつぎのようである。

岐阜市旅館組合長、
県旅館環境衛生同業組合理事長
全国旅館環境衛生同業組合連合会常務理事
県観光審議会委員

 これらの業績により、平成九年(一九九七)十一月、藍綬褒章受章の栄に浴している。


十八楼パンフレットより

 

 

八代 伊藤善男 (公平長女泰子夫)



伊藤善男

 
  善男は、伊藤公平の長女泰子の夫。昭和四十八年(一九七三)泰子と結婚。合資会社十八楼入社。昭和五十九年(一九八四)㈱岐阜観光ホテル十八楼専務取締役 就任。平成十年(一九九八)前社長伊藤公平引退にともない、(株)岐阜観光ホテル十八楼代表取締役社長に就任。現在に至る。
 父公平は、旅館・観光事業の発展に種々の要職を歴任したが、善男も父同様、各種の役職について活躍している。

岐阜長良川温泉旅館協同組合理事長
(社)国際観光旅館連盟中部支部理事
(社)日本観光旅館連盟名古屋支部理事


空から見た十八楼・金華山
(昭和60年代・1985~89)


 

九代 伊藤豊邦 (善男長女知子夫)

 豊邦は、伊藤善男の長女、知子の夫。平成十五年(二〇〇三)知子と結婚。現在、岐阜観光ホテル十八楼常務取締役として活躍中。
 知子は、大学でホスピタリティマネージメントを学び、現在、若女将として活躍中。


十八楼鵜飼小路
 

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